こんにちは
久しぶりの夏空で、太陽がまぶしいくらいです。元気に頑張ってます。
順調に回復しています。皆様からの、沢山のお見舞いや、心配を頂き本当に
ありがたく、感謝申し上げます。
この頃、病気の事を聞いて驚いて、電話をいただいたりして、恐縮しております。
本人は、いたって元気に仕事をしています。
最近は、娘が帰ってきて、お母さんの代わりに、夕御飯を作ってくれるので
目新しい物を作ってくれたりするので、食欲も進み、奥さんも私も助かってます。
おかげさまで、病院から、読書の習慣がつき、”海賊と呼ばれた男”から
同じ百田尚樹の”永遠のゼロ”も読破してしまいました。
この本は、ゼロ戦の戦闘機に乗っていた、予備学生の話なので、非常に共感を覚えました。
予備学生の事を、大変良く調べてあって、感心しました。
私の父は、第13期の予備学生でしたので、大変興味深く読ませていただきました。
私も、父の事を本格的に調べてしようかと思いました。
親父の同期も、たくさん戦死していて、その辺のところは、母もよく知っていたのですが
母も、五年前に他界したので、話が聞ける人がいません。
一度、親父のアルバムを整理して、写真を改めて見てみようかと思います。
このブログにも、一部を乗せてみようかと思いますので、期待していて下さい。
私の父と母の出会いは、母の実家が比較的裕福な家で、予備学生を自宅に招いて
御馳走していたことから、始まったのです。
牧の原に、大井航空隊という部隊があって、そこに配属されていました。
現在の矢崎部品がある所です。
母が亡くなる前に、初めて話した事ですが、九州の部隊に転属が決まった時に
門限を破って、牧の原から、蓬莱橋を渡って島田の家まで、夜遅く別れを言いに歩いて
来てくれたそうです。その話は、唯一母が語った、結婚前のエピソードでした。
そして、終戦を迎え、生き残った父は、霞ヶ浦の飛行場で、残った飛行機を、米軍の命令で燃やして
その後、自分の生まれ故郷に帰るべく、列車に乗る訳ですが、どうゆう理由か知りませんが
島田の駅に降りたち、波乱の人生を送り、私が生まれる訳です。
これからのお話は、写真を交えながら、赤裸々に語って行きたいと思ってます。
ご期待下さい。では、今週はこのへんで・・・・・・・・・泉、