シンチャオ ベトナム旅行記です。

シンチャオ ベトナム語でこんにちはという言葉です。

頑張って、ベトナムのダナンと言うところに行って来ました。

今のベトナムは、とっても過ごしやすく、平均気温20度ぐらいで

ティーシャツ短パンで楽に過ごせます。

今は乾季で、雨も少なく、夜は少し寒く感じることがありました。

ベトナムの人達は、バイクに乗る関係で、フード付ジャンパーを着たりしていて

日本と同じ真冬に近い状態の衣服を着ていました。

半そでの我々のほうが違和感が出てしまいました。

日本見かける、欧米人がTシャツ短パンでいますが、それと同じ感覚なのかなと

思いました。

朝は、曇り空でも、時間が経つに従って、空が晴れて、気温も上昇し、

東南アジアらしい、気候になってきます。

一枚目は、ホテルの部屋からのスナップです。

ハン川という川のほとりにホテルが建っています。

大井川と同じくらいの川幅で、すべて水に覆われていますので

日本の河川とは少し趣が異なります。漁船や遊覧船が行き来し

隅田川と言ったほうが、イメージが合うと思います。ただ、においがどぶ臭く

日本の川とは大違いです。

右の二枚は、川沿いに広い遊歩道があり、そこに旧正月をお祝いするモニュメントが

沢山出来ていて、夜になると、それを見に、人々が沢山集まってきます。

日本の大晦日のお祭りみたいです。デートスポットでもあるようで、

若い人々が、沢山遊びに来て、写真を撮っていました。もちろん家族連れも

多く見られました。

真ん中の写真は、ホテルの朝食です。オムレツを作っていただいて

バイキングで、パンを中心に、カリカリベーコンとオニオンスライス、

そんなところで、毎日食べていました。

食べ物に関しては、まったくの保守で、さらに、パクチーが苦手なので

ホーを食べたかったんですが、手を出しませんでした。

他の物にも、パクチーがほとんど入っていたので、あきらめました。

ゴルフ場では、シーフードスパゲッテイや、クラブサンドを食べていました。

食事は、同じ物を頼んでも、その度に味が少し変化しているので

美味しかったり、そうでなかったりして、変化に富んで、面白かったです。

中日に膀胱炎になったりして、少し苦労しましたが

三日目には回復し、まずまずの旅が出来ました。

ゴルフのスコアはいまいちでしたが、楽しくゴルフが出来ました。

また楽しい思い出がひとつ増えました。

お土産を買いたくて、ロッテマートという、イトーヨーカドウみたいな

スーパーマーケットに行きました。

エスカレーターは階段ではなく、歩く歩道を斜めにしたようなスロープ状になっていて

カートと一緒に移動できるようになっていました。

食料品売り場が四階で、しかも手持ちのバック類は、ロッカーに預けてからでないと

売り場に入れません。

お土産を色々探しましたが、納得のいく物がなく、手ぶらで帰ってきました。

ホテルに入る為に、道を横切るのも、決死の覚悟がいります。

でも、ホーチミンのほうがまだオートバイがはるかに多く

それに比べたらまだ楽でした。

とにかく、この旅行で、少し自信が付いたような気がします。

リフレッシュできたので、これから頑張ります。

では、今回はこのへんで・・・・・・・・・・・・・・・泉

詳しいご報告を申し上げます。

こんにちは

今日は雪になるそうです。寒いのは苦手です。家の柴犬のゆうちゃんも、朝は寝床で

丸まっていました。最近の犬は、贅沢に育っているせいか、寒さに弱くなっていますね。

テレビで見ていると、コタツに入っている犬を見かけます。まるで猫のようですね。

家の犬も、夕方になると、元気になります。まるで夜型人間のようです。

飼い主によく似ています。

本題に入ります。父の旧海軍の履歴についての解答が届きました。

それによると、昭和18年 9月に青山学院を卒業

同月9月に海軍予備学を命ずとあり

翌19年1月に第13期飛行専修予備学生基礎課程終了

その時点で配属を大井航空隊に指定されています。

そして、19年五月に召集され、大井航空隊に配属されています。

そして、19年7月に教官を任ぜられ、20年6月に中尉になっています。

と同時に、攻撃第405飛行隊付になり、終戦を迎えています。

所属していた攻撃405飛行隊は、第706海軍飛行隊を構成する

部隊であり、添えられている第706海軍航空隊戦時日誌によると、

銀河隊、陸攻隊、が松島、木更津、鹿屋、美保航空基地に所在していたそうです。

ただ、清水 亨がどこに赴任されていたかは、記録が無いため不明であると記載されています。

以前の親戚の話によると、九州に赴任したことは、確認できていますので

おそらく、鹿屋にいたんでは無いかと思っています。

ですから、鹿児島に旅行に行った時に、ゴルフを雨で中止にさせて、予定変更して

鹿屋に行かせた事は、親父の仕業ではないかと思っています。

とにかく、自分が軍隊にいた時の事は、一切話してくれませんでしたので、

その話を聞けなかった事は、大変悔やんでいます。

それを聞いておいて、小説に書けば、もしかしたら、「永遠のゼロ」と競えたかもしれません。

なんと恐ろしい考えでしょう!まだ病気が治っていないか、別の病気が発生したか?

まあ、個人的にいろいろ妄想するのは自由かと思いますので、勘弁してください。

映画の「ライフ」ほどではないですね。

飛行隊の戦時日誌は、終戦の時に、戦犯の疑いを掛けられるのを恐れて、ほとんど

燃やしてしまったそうです。ですから、正確な記録があまり残っていないそうです。

しかし、本人が銀河に乗っていた事は、事実だったので

自分は、鹿屋に居たと、信じています。

戦後70年の今でも、戦争は身近にありました。

いよいよ、二月に入りました。

今年は、ベトナムに行ってきます。身体も順調に回復をしていますので、

思い切って、行く事にしました。帰ってきたら、たっぷりとご報告いたします。

やっぱり、健康が一番ですね。

では、今回はこの辺で・・・・・・・・・・・・・・・・・泉