セピア色の思い出とともに

こんにちは 毎日暑い日が続いていますが、元気してますか?

私は元気でやっています、と言いたい所ですが、再発防止の治療で、痛い思いをしています。

この話をしますと、全体的にこのコーナーが暗くなるので、それはまた完治した暁には改めて書かせて頂きます。

先週写真の整理をした事をお話ししましたが、母の写真もありましたので、少し載せてみました。

最初の写真で、前の右側が母です。二番目は、大井町の家の裏のおばあちゃんの居間で取った写真です。

三番目の写真は、七歳の時、一街の屋台の上踊りを踊った時の写真です。

きっと、おじいさんが写真が好きだったんでしょう。色々な古い写真がたくさん残ってます。

母の兄の大井町の伯父さんも写真が好きでした。きっとおじいさんの影響かもしれません。

私も写真が好きで、高校の時には、写真学校に進学も考えましたが、結局車の世界に入る事に決め

整備専門学校に、進学をしました。いまでも、ライカはあこがれのカメラです。

今年は、大井神社の大祭りの年になります。藤枝も大祭の年になりますが

関わりは何と言っても、大井神社になりますので、これだけは勘弁して頂きたいと思ってます。

母の頃の上踊りの舞台に立つことは、今の時代よりも考えられないくらい、大変でお金も沢山掛ったそうです。

しかも、上踊りの踊り子は特別扱いで、お祭りの踊りのお稽古は、青年が三人位で、学校まで迎えに来てくれて

学校の時間より、お稽古の時間を優先させてくれたそうです。青年は、すべてのお稽古が終わるまで

そばに付き添っていて、終わると自宅まで送り届けてくれたそうです。青年の仕事は何をしていたのか、勤務時間は

大丈夫なのか、心配になってしまいますね。みんなが祭りに対して協力的だったんですね。

時間が優雅に流れた時代だったんですね。昭和の良き時代を感じさせてくれます。

写真によると、どうも女学校を卒業後、看護師になったようですが、はっきり聞かされていません。

ここのところも、少し調査する必要があります。また、改めてご報告いたします。

来週は、式年遷宮の、御白石もちに伊勢神宮まで行って参ります。

二十年前にも参加させていただきました。また参加できるとは、思いませんでした。

次回は、八十三歳の年になった時です。それまで頑張っていきたいと思います。

二十年前は、全国氏子青年協議会と言う所で、副会長をやっていましたので

外宮の式年遷宮のお祭りに出席させていただきました。それはおごそかで、神秘に包まれた光景を

見させて頂きました。その時頂いた記念品も大切に保管してあります。

来週はその後報告になりますね。期待していて下さい。では今週はこの辺で・・・・・・・・・・・泉