詳しいご報告を申し上げます。

こんにちは

今日は雪になるそうです。寒いのは苦手です。家の柴犬のゆうちゃんも、朝は寝床で

丸まっていました。最近の犬は、贅沢に育っているせいか、寒さに弱くなっていますね。

テレビで見ていると、コタツに入っている犬を見かけます。まるで猫のようですね。

家の犬も、夕方になると、元気になります。まるで夜型人間のようです。

飼い主によく似ています。

本題に入ります。父の旧海軍の履歴についての解答が届きました。

それによると、昭和18年 9月に青山学院を卒業

同月9月に海軍予備学を命ずとあり

翌19年1月に第13期飛行専修予備学生基礎課程終了

その時点で配属を大井航空隊に指定されています。

そして、19年五月に召集され、大井航空隊に配属されています。

そして、19年7月に教官を任ぜられ、20年6月に中尉になっています。

と同時に、攻撃第405飛行隊付になり、終戦を迎えています。

所属していた攻撃405飛行隊は、第706海軍飛行隊を構成する

部隊であり、添えられている第706海軍航空隊戦時日誌によると、

銀河隊、陸攻隊、が松島、木更津、鹿屋、美保航空基地に所在していたそうです。

ただ、清水 亨がどこに赴任されていたかは、記録が無いため不明であると記載されています。

以前の親戚の話によると、九州に赴任したことは、確認できていますので

おそらく、鹿屋にいたんでは無いかと思っています。

ですから、鹿児島に旅行に行った時に、ゴルフを雨で中止にさせて、予定変更して

鹿屋に行かせた事は、親父の仕業ではないかと思っています。

とにかく、自分が軍隊にいた時の事は、一切話してくれませんでしたので、

その話を聞けなかった事は、大変悔やんでいます。

それを聞いておいて、小説に書けば、もしかしたら、「永遠のゼロ」と競えたかもしれません。

なんと恐ろしい考えでしょう!まだ病気が治っていないか、別の病気が発生したか?

まあ、個人的にいろいろ妄想するのは自由かと思いますので、勘弁してください。

映画の「ライフ」ほどではないですね。

飛行隊の戦時日誌は、終戦の時に、戦犯の疑いを掛けられるのを恐れて、ほとんど

燃やしてしまったそうです。ですから、正確な記録があまり残っていないそうです。

しかし、本人が銀河に乗っていた事は、事実だったので

自分は、鹿屋に居たと、信じています。

戦後70年の今でも、戦争は身近にありました。

いよいよ、二月に入りました。

今年は、ベトナムに行ってきます。身体も順調に回復をしていますので、

思い切って、行く事にしました。帰ってきたら、たっぷりとご報告いたします。

やっぱり、健康が一番ですね。

では、今回はこの辺で・・・・・・・・・・・・・・・・・泉