九州に法事に行って来ました

こんにちは 毎日暑い日が続いていますが、いかがお過ごしですか?
連休はゆっくりやすめましたか?
今度の夏休みは、お盆休みらしく、法事とゴルフの二本立てでした。

 

前回お話したように、九州に、叔母さんの初盆に行って参りました。
今日は長い話になります。

 

以前、書いたかも知れませんが、私の親父は九州の小倉出身で、後に東京に出て
学徒出陣の第13期の予備学生で、海軍の偵察に配属になり、敗戦を迎えました。
親父の親父、つまり私のおじいさんになりますが、昇さんという人がいて
昇さんが、再婚をして、叔母さん達女姉妹は、母親に引き取られ、大変苦労をしたそうです。
その時、東京と九州に生き別れになったそうです。
親父が亡くなった時、九州からわざわざ出てきていただき、その時もいろいろ
別れたいきさつを聞かせていただきました。

 

その時から、しばらく会っていませんでしたが、兄が連絡を取ったところ、今年初めに
亡くなったとの知らせを聞き、兄と相談をし、この休みに行く事に決めました。
16日の朝早く藤枝を出て、博多に着いたのが12時を少し回ったところでした。
博多で昼食を取り、福間に着いたのは、午後1時半ごろでした。
福間と言う所は、福岡と小倉の中間にあり、福岡のベットタウンであり、藤枝とよく似た町のようでした。
駅には、叔母さんの息子さん、私にとっては、従兄弟になる隆さんが迎えに来ていて
兄は何度かお逢いしているようでしたが、私は初めてでしたので、少し緊張しました。

 

体つきが清水の系統の様で、ガッチリしていて、とても初対面と思えない様な方でした。
お父さん(私にとっては叔父さん)の家まで行き、お線香を上げさせて頂きました。
色々、お話をお聞きしましたが、中でも、末広(おばさんの苗字)の叔父さんも
父と同じ、海軍で、なんと空母加賀に乗っていて、ミッドウエイ海戦の際、大火傷をし
加賀と一緒に、死のうと思ったが、助けられて、呉に戻り、海軍病院で入院
退院後、徴用免除となるも、再び志願し、台湾で終戦を迎えたそうです。
御歳90歳、親父と同じ大正10年生まれで、少し耳が遠いが、無類のバイク好きで
最近まで、バイクに乗っていたそうです。

 

親父の話も出て、雁ノ巣の飛行場に飛行機を運ぶ際に、小倉の上空を三回旋回するから
良く見ちょけ(九州弁)と言ってきたそうです。
八月はお盆と共に、戦争の話が話題になりますが、私達の親父の世代はまだ戦争は終わっていません。
確実にそう思いました。自分たちが語り継がなければならない事がまだありました。

 

もっと話を聞きたかったんですが、もう一人の叔母さんに会いに小倉に行かなければ
ならなかったので、残念ながら、福間を後にし、小倉に向かいました。
次回は小倉の話を書きます。小倉の叔父さんも、召集令状で、陸軍に入隊し大変な体験をしたそうです。
退屈な話かもしれませんが、お付き合い下さい。
それでは次回をお楽しみに・・・・・・       泉

 

追伸
写真は前回の北海道旅行の時の写真を付けました。目の保養にどうぞ。

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