江戸時代に海外で戦った侍の話を知っていますか?

こんにちは 毎日雨が降り続いていますが、皆様の所は大丈夫ですか?

このたびの九州地方で水害に遭われた方々には、お見舞い申し上げます。

自分の身体の半分の出身地である九州が被害にあうと

本当心が痛みます。一日も早く復興できますように願っております。

さて、先日、NHKのスペシャルを観ていましたら、戦国時代の徳川と

豊臣の背後に、スペインとオランダの勢力争いがあった話をしていました。

その時代は、銀が世界の基軸通貨であった為に、日本の銀が注目を

浴びていたそうです。最近オランダで、オランダ東インド会社の文献の

中にどの様にして、オランダが徳川に取り入ったかが書かれているのを

発見したそうです。事の初めは、オランダの貿易船が日本に漂流して、家康に

呼ばれ、徳川家と結びつく訳ですが、当時、スペインから独立したばかりの

オランダは、貿易で国力を伸ばそうとします。スペインも無敵艦隊で世界を

席巻していましたから、当然競争になります。スペインは、豊臣家に加担し

キリスト教の力を借りて、キリスト教を振興する大名を集め徳川に対抗します。

スペインは、植民地を作るのに、キリスト教の力を借りていましたので

常にセットで行動していました。オランダは貿易のみで勝負していましたので

家康の信頼も厚く、武器の開発も進んでいましたので、大阪の陣では、大砲を

オランダから購入し、500メートルも離れた所から、大砲を打ち込んで

秀頼の戦意を喪失させました。そして、時代は徳川の天下になる訳ですが

東南アジアはオランダとスペインの植民地の争奪戦になる訳です。

東南アジアは、香辛料の宝庫ですから、宝の山です。そこにスペインは

砦を築き領土として、守る訳ですが、それを打ち破る為に、オランダは日本から

侍の傭兵を雇い、次々と陥落させ、オランダの領地にしていったそうです。

徳川の時代になり、旗本以外、武道だけでは飯が食べて行けず、中には

豊臣も残党もいた訳ですから、そういった武士がいたのは必然だったと思います。

ただ、東南アジアでは、タイの山田長政以外、あまり名前を聞きません。

どんな人達が、どこで戦ったのか、これから少し調べてみようかと思います。

傭兵と言えば、フランスの外人部隊が有名ですが、江戸時代に、オランダに武士が

雇われて海外で戦っていた事が、とても興味深く思い、足跡を追ってみたいと思いました。

まとまりましたら、またご報告をいたします。

では、今回はこの辺で・・・・・・・・泉