九州の法事のお話のpart2

こんにちは 相変わらず雨が降ったりやんだりで、仕事に精がでませんね。

昨日まで横浜で、人間ドックに行って参りました。大変疲れました。
年々、大変になってきます。特に大腸の検査で、大量の水を飲まなければならないのが
とってもきつくなって来ています。残念ながら、ポリープが見つかり、改めて取る為に
もう一度、あの苦しみを、味あうことにまりました。がっかりです。
でも、除去しておかないと、癌の原因にもなりかねないので、取っておきます。
来月、検査の結果が出ますので、その時詳しくお伝えいたします。

それでは、九州の続きです。
福間を後に、小倉のおばさんの家に行きました。小倉の叔母さんの家には
20年前に一度お邪魔した事がありましたが、うっすらとした記憶の中で少しイメージが蘇りました。
叔母さんは、亡くなったお姉さんと少し歳が離れていて元気な顔で迎えてくれました。
小倉の叔父さんとも初対面で、少し緊張しましたがとても気さくな方で、色々な話をしてくれました。
叔父さんも、終戦前に、赤紙で召集され、京都の伏見の連隊へ入隊した時
お母さんが付き添ってきてくれて、お母さんが帰る後姿が、まだ目に焼き付いているとか
8月15日に玉音放送を知らされず、夕方になってはじめて知って、いつもいじめられていた
古参兵を、四五人で、ぼこぼこにしたとか、悲惨な話を色々聞きました。
ここでも、戦争は終わっていませんでした。

最近、NHKで、戦争の証言のテレビを放送していますが、とても大事な事だと思います。
自分達が、その人達のおかげで、今の生活があるという実感を、事実をかみ締めていただきたいと思います。
小倉の叔父さんとも、打ち解けて、ぜひ、静岡に遊びに来てくださいとお話をしてお開きとしました。
本当に九州に来て良かったと実感しました。
人は、色々な関わりの中で、結ばれ、受け継いで行きます。
私の父親が、なぜ島田に降り立ったのか?本当に不思議な縁だと思います。
そして、その息子の一人が、いま、北海道に暮らしています。
そこには、五人の息子がいて、それぞれの人生を歩もうとしています。
高橋圭三?ではないですが、事実は人生より希なりですね。
このような話は、還暦を越えないと理解できない話なのかもしれません。
でも、理解してくれると、とってもありがたいですね。

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