マレーシア旅行記第二弾

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マレーシア旅行記マラッカ観光第二弾です。川は海上輸送の大きな要です。マラッカの中心街にも川が流れていて、重要な役割を果たしていました。この建物はイギリスの支配下にあった頃の物です。観光用の人力車がありました。昔シンガポールで乗った事がありました。この川を見ながら歩いていたら、オオトカゲが泳いでいました。シャッターチャンスを逃してしまいましたが、南国ならではの出来事でした。最初ワニかと思い、びっくりしましたが、トカゲで一安心でした。

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マラッカはポルトガル、オランダ、イギリス、日本等に統治されていた過去があり、フランシスコザビエルが、この地から、アジア、日本等に布教に出発した地でもあります。最後はイギリス領だったので、右側通行なので、車はほとんどが右ハンドルなので、交通の違和感はまったくありません。マラッカの語源は、梅の木で、すっぱい実がなる木だそうです。(諸説あります。)日本人には、マラッカ海峡が有名で、大型タンカーが、中東から石油を積んでここを通過します。昔貿易で栄えましたが、シンガポールが、貿易に力を入れ、港湾等を整備したので、シンガポールに主役を奪われてしまったそうです。元々は王様がいて、支配をしていましたが、ヨーロッパの列強に、支配されてしまいました。アジアの悲しい歴史ですね。ここに写っているザビエルの像がありますが、この像には右手がありません。これは1549年に日本に布教に来て、二年余り布教活動の後、中国に渡りますが、52年に中国で死去します。最後を看取ったお弟子さんが棺に石灰を入れて、腐敗を早めようとしたが、何故か何時までたっても腐敗しなかったそうです。マラッカのセントポール協会に埋葬されたそうですが、ローマのイエズス会はザビエルの確認の為に、右手を送れと命令し、右腕と、内臓がローマに送られたそうです。その際に遺体は一年以上経ったのにもかかわらず腐敗をしていなかったそうです。ローマに着いた右手からも血が流れ出たそうです。腐敗しない遺体は聖人の証と考えていて、「不朽体(インコラプティブル)」と言い聖人の証と考えていました。現在ザビエルの遺体はインドのゴア州オールドゴアと言う所に安置されていて、10年に一度一般公開されるそうです。それで右手が送られた為に、像には右手がついていないと言う説があるそうです。他には最初像を作成した時は、右手はちゃんと付いていたが、木が倒れてきた時に、破損して無くなったと言う説もあり、諸説色々です。でも本人の右手が無く、銅像にも右手が無いと事に、歴史のミステリーや、ロマンがあって、旅行の思い出が大きく膨らみます。ちなみに不朽体はフランスにも存在し、「聖ベルナデッタ」で有名です。勉強しないと解らない事が色々あって、楽しいですね。昔は百科事典が、家にありよく読んでいました。好奇心旺盛なのは幼い頃からの習慣でした。今はパソコンや、スマホですぐに調べられますから、良い時代になってきました。このブログを読んでも勉強になりますから、皆様にお役に立つ情報をこれからもお伝えしていきたいと思います。では、今回はこの辺で・・・・・・・・泉